こんにちは!吉川光洋(きっかわみつひろ)です!

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秋田県秋田市土崎出身、横浜市神奈川区在住。神奈川で多店舗展開する大手の美容室に13年間在籍し、2011年、横浜市神奈川区大口に美容室「rodina(ロディーナ)」をオープン。2013年に株式会社SKTカンパニーを設立。屋号であるロディーナの意味は「家族」。スタッフもお客さんも家族のような優しい関係でありますようにと、社名であるSKTカンパニーの意味は、「S」はスタッフ、「K」は家族、顧客、教育、「T」は楽しい。スタッフがたのしく成長でき、お客さんもスタッフの家族も楽しい会社でありますようにという強い想いが込められてる。 【「いい会社、いい店、いい場所を創ろう」 お客さんにとって、スタッフとその家族にとっていい会社、いい店、いい場所を。】を経営理念にお客さん、スタッフ、その家族が喜んでくれる会社創りを目指す。 吉川光洋の詳しいプロフィールはこちらから

ボクの今

横浜市でロディーナって美容室を経営しています。

幼いころにまあまあいろんなことがあって、美容学校を卒業するまでは生まれ故郷の大好きな秋田県秋田市の土崎(つちざき)って街ですくすくと育ち、卒業後、横浜の他店舗展開する大手美容室に就職。13年間修業を積み、その13年の間に、カットコンテストでは優勝はしたことなかったけど、準優勝1回、入賞多数。副店長2年、店長3年の経験を経て、2011年の6月8日にロディーナをオープン。と、まあ、美容室経営者にはよくあるフツーの経歴です。

ロディーナってこんなお店

ロディーナは横浜市神奈川区の大口っていう街の商店街「おおぐち通商店街」の中にあります。いわゆる地域密着型の美容室です。商店街のイベントには積極的に参加させてもらい、自分たちでもお客さんと一緒にバーベキューをしたり、年に2回くらいはキッズカットデーを開催したりと自主開催のイベントを企画して楽しみながらやってます。そんなロディーナの活動を通して街の人たちに喜んでもらえたら嬉しいです。

サロンワーク中はこんな感じ

商店街の夏の縁日には毎年参加します

忘年会もお客さんと一緒

お客さん100人とやったBBQ

年に2回、こどもの日とハロウィンに開催しているキッズカットデー

 

年中こんな事をやってるから、ロディーナはとにかくスタッフとお客さんの中がいい。

それがロディーナの自慢です。

なぜ美容師になったのか

ボクの仕事は美容師です。美容師としてサロンワークをしつつ美容室を運営する会社を経営しています。でも、本当は美容師になるつもりなんて全くなかった。ボクは本当は学校の先生になりたかったんです。運動するのが大好きだったから体育の先生になりたかった。

ジャージを来ながら仕事が出来て、運動しながら給食も食べれて、部活動でバスケ部の顧問になって放課後は大好きなバスケをする。(あ、バスケ部だったんでバスケが大好きです。でも腰を痛めてやめちゃいましたけど。)なかなかいい生活だなー、って中学の時に思ってました。小学校の4、5、6年の時の担任の河村先生や中学の時のバスケ部の顧問の稲田先生が好きだったんだろうな。二人とも体育の先生だったし。

だけど先生になれなかった大きな理由は一つだけ。バカだったから。ただそれだけです。

学校は好きでしたけど、勉強がどうにもこうにも嫌いだった。高校時代は学校にいたら授業を受けなきゃいけない、なので1週間のうち4日くらいは学校は早退。着替えてそのまま家の近所の「ABC」ってパチンコ屋へ直行。タバコを吸いながらバイトの時間までパチンコを打つ。バイトの時間が来たらバイトへ行って、確変中で玉が出てたら遅刻の連絡をいれてそのままパチンコを続行。バイトに行ってそのままバイトの先輩と飲みに行く。週末には競馬の予想に精を出し、大きなレースになればわざわざ岩手県の水沢競馬場まで行って馬券を買う。バイトがない日は親友達と遊ぶか、当時付き合っていたガールフレンドとデートするか。親友やガールフレンドと予定が合わなければ学校は早退してパチンコへ直行。高校時代のボクの主なスケジュールはこんな感じ。

なので進路を決める時に大学は選択肢に入らなかったので、当時ガソリンスタンドでバイトしてたから車の整備士になろうと考えて整備の学校を受験しました。ですが、バカだったんでその学校も落ちてしまった。

こんなこと書いたらずっと担当させてもらってるお客さんに悪いかもしれないけど本当の事なんですよ。美容師になるなんてこれっぽっちも考えてなかったんです。なんなら美容室に髪を切りに行ってなかったから。

そんな感じでフラフラしているボクに母親が一言。
「とりあえず1年、美容学校にでもいってみれば」って突然言ってきた。今は美容学校は2年制ですが当時は1年制で、ボクが通った美容学校は試験がなかったから履歴書を提出すれば多分誰でも入れました。

それがボクが美容師になったきっかけです。それでも美容師に興味なんてなかったから美容学校時代も高校時代と変わらない生活を送ってました。

当時は1年制だったので、4月に美容学校に入学して3ヶ月くらいしたら就職活動が始まるんです。まあ、美容師に興味がなかったから就職先はどうでもよかったんですけど、そこでまた母から「あんたは外に出なさい」の一言。先生に相談して秋田美容学校の先輩が何人かいる横浜の美容室にお世話になる事になりました。

秋田時代に受けた影響

昭和53年12月26日21時45分頃、父、洋一郎、母、恭子のもとに元気に産まれ、両親の元、なに不自由なくすくすくと育ちました。5歳年下の弟も産まれ家族4人で暮らしていました。

ですが、小学校3年生の時に大好きだった父親が亡くなります。父さんは強いから絶対に病気に勝てると思っていました。でも勝てなかった。
ガンだったんです。

ボクは父親のことをあまり覚えていません。どんな声だったのかもあんまり覚えてない。弟なんて4歳だったから全く覚えてないみたいです。

ボクが覚えてることって言えば、魚釣りが大好きで、よく近所の海に連れてってもらってたこと。町内のおじさんたちとやってた草野球にもよく連れてってもらって、父親の背番号は16番でポジションはキャッチャーだったこと。日曜日の朝に近所のタバコ屋に父親が吸っていたチェリーってタバコと炭酸飲料のスプライトをおつかいで買いに行かされてたこと。夜はいつもお酒を飲んでたこと。飲んでるお酒はいつもサントリーのオールドだったこと。町内の行事には積極的に参加しててピンクのスーツを着て司会をしたり、町内のおじさん達とナースの格好をして盆踊りをしていたこと。町内の行事の打ち上げではいつも酔っぱらっていたこと。

そういう場にはいつも家族を連れてってくれてたこと。

そんな父親でした。

1月16日の確か午前中だったと思うけど母方の実家に預けられていたボクと弟は、おじさんから「お父さん病気に負けたよ」の言葉で父親の死を知らされました。ボクは一瞬冗談だと思ったけど、その後ろで泣いているばあさんを見て現実なんだと認識して泣き崩れたのを覚えています。それにつられて弟もわけがわからないまま泣いてたな。

父さんの命日の1月16日は愛飲してたサントリーのオールドで乾杯します。

 

その日からボク達兄弟ははたくさんの人たちに支えられて生きてきました。

親戚のみんなや父さん母さんの仲間たち、学校先生、親友たち、そのお父さんやお母さんたち、部活やバイトの先輩たち。そして1番はボクたち男兄弟2人を育ててくれた母さん。

お世話になったみんなの好意に反するようなヤンチャなこともしたし、警察にも何度もお世話になったけど、今思えば全てにおいてたくさんの「人」に支えられてきたし、いろんな大切な事にも気づかせてもらいました。

ボクが上京する1週間くらい前、こんなことがありました。あと何日後には横浜に行くって時の3月なのに雪が降ってた日の夜の事です。

家に1本の電話が来ました。ボク宛にでした。
電話の相手は父親の町内の仲間だった石田さんっておじさん。

石田さんは父親が生前仲良くしていた町内のオジサングループの中の1人です。ボクの同級生の女の子の知子ちゃんって子のお父さんという事もあったのかわからないけど、父親が亡くなってからもボクの家族をよく気にかけてくれてました。なんなら今でも甥っ子姪っ子達まで気にかけてくれてる優しいおじさんです。

その石田さんから
「おーミッツ、今から公民館さけ(公民館に来い)」と電話で言われたので家から5分もかからない位にある町内の公民館に向かいました。

なぜか石田さんに呼ばれたボクは町内の公民館に行ってみると、そこには石田さんだけじゃなくて町内のオジサングループのオジサン達が勢ぞろいしていました。そのおじさんたちはみんな、父親が元気な頃よくしてくれてた父親の飲み仲間たちでした。ボクはその輪の中に入れてもらって、「まず飲め」と、何度も何度も注がれて浴びるほどお酒を飲まされました。

そのままおじさんたちとダラダラ飲んでいると、酔っ払って誰かがこんな事を言いました。

「洋一郎の息子が東京さ行ぐがら盛大に送ってやらねばな」って。

町内のおじさんたちは父が亡くなって10年たっても父親を偲んで酒を飲んでくれてて、しかも息子のボクの事も気にかけてくれていたんだって思ったら、父親がどう生きてきたのかが少しだけわかった気がしました。その当時でも、もう父親が亡くなって10年以上たってるのにもかかわらず、しかもボクが1歳位のときに町内に移り住んできた父親とはそれほど長い付き合いでもなかったはずの町内のおじさん達が今でも父親の話をしながらお酒を飲んでる。しかも、その息子のボクが上京するからってこんな会まで開いてくれた。

ボクはこの一言で父親ってものすごく人を大切にする人だったんじゃないかなって思ったんです。父親の事はあまり覚えていませんがその時初めて、父親のような人になりたいって思った。

ボクが上京する前に父親はどうしても町内のおじさんたちを通して、そういう事を天国から伝えたかったんじゃないかな。多分ですけどね。

帰りがだいぶ遅くなって、公民館に迎えに来てくれた母さんは泣いてました。ボクがベロベロに飲まされて酔っ払ってどうしようもない息子だなって事じゃなくて、きっとおじさんたちの気持ちが嬉しかったんだと思う。

「人を大切にしろ」
その時感じた天国の父親からの強烈なメッセージは今でもボクの中で響きまくってて、その想いがそのまま、会社経営に繋がってるように思います。

ボクの考え方の芯にあるのは「家族」であり「人」。スタッフが楽しいかどうか、喜んでるかどうか。その後ろにいる家族が喜んでるかどうか。だって自分の家族だったらそうであって欲しいから。

秋田の実家にて。母と弟家族。

 

その根本にあるのは、お客さんに「喜んでもらえる美容師」「応援してもらえる美容師」になってほしい。スタッフが豊かな美容師人生を送って欲しい。

ただそれだけ

関わる人が楽しくいてくれたらそれでいい、美容師として成長して毎日を楽しんでほしい、ただそれだけなんです。ボクがこんな考え方になったのも、こういう体験があって、出会った人たちにお世話になったから。その影響のおかげだと思っています。

自分の家族だったらどう考えるか

もし自分の家族が仕事のことで苦しんでたりするのは絶対に見たくない。それはスタッフだって同じこと。だからいつもスタッフがもっと喜んでくれたらいいなって思ってる。

スタッフのお給料をどうやったらもっと上げれるか。
スタッフのお休みをどうやったらもっと増やせるか。
スタッフの家族がもっと笑顔になるにはどうしたらいいかな。
もっともっとスタッフが成長するには。
もっともっとスタッフが輝くには。

スタッフが美容師として、社会人として自分の将来が明るく見えるように、経営者としてどんな選択をしたらいいのか。毎日毎日そんなことばっか考えてます。

そしてそれらを実現するためにボクが出した答えは・・・いまだにわかりません笑

飲み会はスタッフの家族も呼んでやったりする

 

だけどこれだけははっきり言える。スタッフが喜んでくれるには、まずはお客さんに喜んでもらわないとダメだってこと。お客さんが喜んでくれてなかったらお店やってけないし、お給料もあげられない。たくさんのお客さんが喜んでくれるからこそ楽しく美容師ができるんです。お客さんが喜んでくれるからこそスタッフが喜んでくれるようなことすることができる。

サロンワークやロディーナの活動を通してお客さんに喜んでもらえた結果、スタッフが喜んでくれて楽しんでくれて、その成長を実感する。そしてその先にいるスタッフの家族が笑顔でいてくれる。それがボクが考える豊かな美容師人生。

その豊かな美容師人生をつかむためには当然楽しいだけじゃダメ。美容師として成長するために厳しいことも悔しいことも辛いことも経験します。ボクだってきっと厳しいことも言うと思う。だけどそこには想いがあるし愛がある。

なので、お客さんに喜んでもらうために、家族に喜んでもらうために、どんなことをやってもいいじゃんって思ってます。お客さん喜ばせるのにマニュアルなんかないんだから。業界の常識にとらわれないでいろんなことにチャレンジしてお客さんい喜んででもらえばいい。そういうスタッフのチャレンジを会社を通してサポート、応援できたら嬉しいな。

個人店が増え続け、「供給過多」「人手不足」って言われている最近の厳しい美容業界において、どこにでもある同じような美容室のいくらでも代わりのきくどこにでもいるような美容師じゃなくて変わった美容室があっても面白いですよね。そんな感じを目指して突き進む毎日です。

そんなボクの想いや好きなことを書くだけのどうでもいいブログですが、よかったら読んでくれると嬉しいです。

吉川光洋・経歴

株式会社SKTカンパニー代表取締役
美容室ロディーナ代表 吉川光洋(キッカワミツヒロ)

昭和53年12月26日生まれ、やぎ座。B型、動物占いは束縛を嫌う黒ヒョウ

秋田県秋田市土崎出身、神奈川県横浜市在住
家族構成  妻、娘、息子 毎日笑顔が溢れる穏やかな家庭です
好きな事  家族、バスケ、サッカー、お酒、肉、ラーメン、カレー、秋田、横浜、沖縄、音楽、競馬
平成6年   秋田市立土崎中学校卒業
平成9年   秋田県立秋田西高等学校卒業
平成10年 秋田ヘアビューティーカレッジ(当時は秋田美容学校)卒業
平成10年 神奈川県大手の美容室に就職
在籍中は副店長2年、店長3年を経験、後輩の教育、店舗マネジメントを経験
独立準備の為、平成23年3月退社
平成23年6月8日 ロディーナ創業
平成25年5月6日 ロディーナ大口店オープン
平成25年11月  「株式会社SKTカンパニー」設立
平成28年3月1日 1号店、2号店を合併、拡張移転

rodina(ロディーナ)はチェコ語で家族

SKTカンパニーに意味は
S=社員、K=顧客、家族、T=楽しい

この記事に屋号や社名について詳しく書いてますのでよかったら読んでみて下さいね>>>ロディーナって屋号には、ボクのルーツや大切なこと、好きなこと、つまってる

「ロディーナ」や「SKTカンパニー」には、社員もその家族もお客さんも楽しい会社にしよう。そんな想いが込められています。

 

 

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秋田県秋田市土崎出身、横浜市神奈川区在住。神奈川で多店舗展開する大手の美容室に13年間在籍し、2011年、横浜市神奈川区大口に美容室「rodina(ロディーナ)」をオープン。2013年に株式会社SKTカンパニーを設立。屋号であるロディーナの意味は「家族」。スタッフもお客さんも家族のような優しい関係でありますようにと、社名であるSKTカンパニーの意味は、「S」はスタッフ、「K」は家族、顧客、教育、「T」は楽しい。スタッフがたのしく成長でき、お客さんもスタッフの家族も楽しい会社でありますようにという強い想いが込められてる。 【「いい会社、いい店、いい場所を創ろう」 お客さんにとって、スタッフとその家族にとっていい会社、いい店、いい場所を。】を経営理念にお客さん、スタッフ、その家族が喜んでくれる会社創りを目指す。 吉川光洋の詳しいプロフィールはこちらから